私だったり、私じゃなかったり。

フィクションもノンフィクションも。

時代

 

 

「一度あったことは忘れないものさ。

   思い出せないだけで。」

 

 

思い出したくないような、

忘れてしまいたような、

そんなことも。

 

ずっと胸にしまっておきたいような、

心の片隅に留めておきたいような、

そんなことも。

 

 

 

少しずつ薄れて、曖昧になって。

 

 

だけど、きっとずっと、忘れないのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近少し生きづらい。

 

 

 

 

 

 

 

時代に合った生き方 __ ?

 

 

 

 

 

 

私は生まれる時代を間違えた、?

 

 

 

 

 

だけど時間はきっと繋がっていて、

過去も今も未来もひとつしかなくて、

世界全てが自分で、自分の世界が全て。

 

 

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少し休んで、また歩く。

 

 

 

今年の夏は本当に暑い。

 

 

今日の日本は、熱中症で34人の方が亡くなったそう。

 

 

絶対に守ることができた命なのにな.…

 

 

 

 

 

ヒトはいつか死んでしまう。

 

 

 

 

分かりきっていて、当たり前だとも思っているのに、「その時」は「まだ来ない」とも思っている。

 

 

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令和、夏、花火

 

 

 

 

「春がはじまる」「春が終わる」

 

 

「秋がはじまる」「秋がおわる」

 

 

「冬がはじまる」「冬が終わる」

 

 

何処と無く違和感があってぎこちない。

 

 

 

 

それなのに、

「夏がはじまる」「夏がおわる」は、

違和感なくて。普通に使うし使われている。

 

 

 

 

普通こそ、特別 …?

 

 

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夏。

 

 

 

ここからはじまる、

 

 

六、

 

 

数年ぶりに母校の小学校へ。

 

 

 

ひとつひとつが懐かしくて、

思い出が頭の中を駆け巡っていた。

 

 

 

 

どんな場所にも、

あの頃自分たちが過ごした日々が隠れていて。

自分の過去に触れたような気持ちになった。

 

 

 

 

 

6年間共に過ごしたいクラスメイトは、

たったの20名ほどだったけれど、

今でも連絡を取り合うのは4人くらい。

 

 

 

あんなにも長い時間を共に過ごしても

今どこで何をしているのかすら、

知らないクラスメイトがほとんどで。

 

 

 

 

 

だけどそれでも、

みんなここにいたことを思い出した。

 

 

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変わっていく日々の中に、

変わらないものも確かにあって。

 

 

 

 

自分がここに居たことを、

みんながここに居たことを、

その場所が教えてくれた。

 

 

 

中3の夏、あの教室でひとり。

 

今年最後のプールの授業が終わって

制服に着替えた私は席に座って

窓の外を眺めていた。

 

 

 

窓の外を眺めていたって、

好きな男の子がグラウンドで

体育の授業をやっていて、

サッカーボールを追いかけている姿なんて

見えやしない。

 

 

それでも、なんとなく

窓の外を眺めている。

 

 

 

机には、“進路希望調査票”

 

 

中3の夏、人生の選択を迫られている。

 

 

 

 

だけどわたしには、なにもない。

 

 

やりたいことも、行きたい場所も。

 

 

 

 

ただひとつ、

「早く外の世界に出たい」

 

 

それが私の願い。

 

 

 

どこか窮屈に感じている教室も学校も

住んでいるこの町も。

 

 

 

 

今あるこの環境が私にとっての「世界」そのもので、

私にとって「世界」の全て。

 

 

 

 

 

あと半年でこの学校を卒業して、

 

自分の学力に見合った高校へ行って

3年間をその場所で過ごす…

 

 

 

そんな生活を考えただけで、頭が痛くなる日々。

 

 

 

部活も引退して、何も楽しくない今。

 

 

 

私は初めて、自分の人生について考えている。

 

 

 

 

そして私は、生まれて初めて、

 

自分の人生の「選択」をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間、

 

 

あと30秒間に合わずに発車した電車。

 

 

30秒間に合わなかっただけなのに、

1時間半の代償。

 

 

 

いくら田舎だからって、

あまりにも電車が少なすぎる。

 

 

 

たとえばその1時間半で、

本を読むとか、勉強をするとか、

出来ることはたくさんある。

 

 

それはそう。

 

 

だけど、それなら

1時間半先に行き先について

やりたかったことがたくさんある。

 

 

1時間半分、ごろごろ過ごすとか、

早く夕ご飯を食べるとか、そんなこと。

 

 

だけど、“そんなこと”が自分にとって

いかに大切なことなのかをよく知っている。

 

 

 

 

 

実は駅まで、バスで来た。

そう、バスが遅れたのだ。

 

 

 

 

バスが遅れるなんて日常茶飯事で、

時刻表なんてあるようでないようなもので、

そんなことは分かりきっているから

いつもは余裕を持って

2本くらい前のバスに乗るようにしている。

だけど、今日はそうもいかなかった。

 

 

 

仕事が終わって、一旦家に帰り

急いでシャワーを浴びて

洗濯物を干して家を出る。

 

 

 

洗濯物を干していなければ、

間に合った。

 

 

そんなこと分かっているけれど、

今日ばかりは、「バスが遅れなければ…」と

イライラしてしまった。

 

 

久しぶりにイライラした。

 

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人は「時間」と共に生きていることを

実感した。

 

 

 

 

「たったの」が思わぬところで

「まさかの」「そんなに」「こんなにも」に

変わってしまうことがある。