私だったり、私じゃなかったり。

フィクションもノンフィクションも。

2019

 

最悪の始まりだった。

明日なんか来なければいい。

このまま朝が来なければいい。

どうか目が覚めませんように……

と、ただただ泣いていた。

 

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それなのに、私は今こうやって

笑顔で過ごしている。

本当に残酷な生き物だな、と思う。

 

そんな自分に苦しくなったり、

責めたくなったり、

ふと涙が溢れたりする。

 

だけど、そんな自分を許せるのは、

許してあげられるのは、

この世界でたった一人の自分。

 

 

不幸話しを感動話になんかしたくないし、

不幸話しをいつしか強みにしているような、

そんなことは絶対にしたくない。

 

だけど、あの頃の自分のことも

許してあげたい。

 

少しずつ前を向いて、

たまに後ろを振り返って、

元通りになってしまっても、

また前を向いて歩きたい。

 

 

 

 

 

2019年に、

サヨナラCOLOR  / SUPER BUTTER DOG 

 

https://youtu.be/qFDbANtxLfU

 

曾祖母のはなし

 

2歳8ヶ月の冬。

朝起きると曾祖母が亡くなっていた。

 

曾祖母は癌だった。

 

 

ちょうど冬休みでわたしの家族も

いとこの家族も曾祖母の家に

連日泊まっていた。

 

 

きっともう、曾祖母の命が長くないことを

知っていたから。

 

 

だけどわたしは、まだ2歳。

いろいろ知らなかった、分かっていなかった。

 

 

その頃、夜寝るときは日替わりで

誰かが曾祖母と同じ部屋で寝るようにしていた。

 

その日、わたしは母と母の姉と

曾祖母の部屋で眠りについた。

それなのに目が覚めたら別の部屋にいた。

 

そこに母がやってきて、

曾祖母が亡くなったことを教えてくれた。

 

そのときの気持ちは覚えていない。

それから家族がどんな様子だったとか、

どんな会話をしたのかも。

 

御葬式の日、

わたし達兄妹や従姉妹は一列に並び、

最年長の姉と最年長の従姉妹の2人が

曾祖母に向けて手紙を読んだ。

 

 

わたしはそのとき、

曾祖母が亡くなってから初めて涙を流した。

 

その涙は止まることなく、

小さい肩を震わせながら、

ただひたすらに泣いていた。

 

 

2歳のわたしでも、

もう大好きな曾祖母に会えないこと、

話せないこと、笑えないこと、

色んなことを理解できた。

 

 

わたしはよく曾祖母と2人で

バスに乗って買い物に出かけたり、

曾祖母の知り合いの家に遊びに行った。

 

曾祖母はわたしが曾祖母の家に行くたび

「よく来たね」と微笑んでくれた。

 

 

わたしは覚えていないけど、

曾祖母は亡くなる直前、

わたしの頬を触りながら

「ありがとう」と言って

眠りについたらしい。

 

 

 

 

あれからもう21年。

 

 

こんなわたしでも、

それなりに苦しいことや悲しいことがあって

涙が止まらない日々があった。

 

 

生きていることがとても辛くて、

もう立てないと思うことがあった。

 

 

そんな日々の中でわたしは

曾祖母に会いたいと思った。

もしかしたらどうしたらいいか

教えてくれるかもしれない、と思った。

 

 

だから逢いに行った。

教えてほしい、と願ったけど、

分かったことは、

どんな答えを出しても

味方でいてくれるということだった。

 

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だからわたしは今でもこうして

ここで生きていて、

笑って日々を過ごせている。

 

 

 

だけどもし、もう一度逢えたなら

「よく来たね」って笑ってほしい。

 

 

 

幸せ

 

 

すごくすごく嬉しいことなのに、

悲しくて涙が出た。

 

 

強く生きたいって、

強く生きよう、って

あの日、あの時

決断したはずなのに、

ふとしたことで、

ふとした瞬間に

悲しみの嵐で

自分が崩れそうになって。

気づくとボロボロの自分に

戻っている。

 

 

 

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映画【ジョーカー】を観た。

 

 

 

生きるってことは、

正しいとか正しくないとか

そんなことで判断できるような、

判断していいようなことでは

決してなくて。

認め合えるってことなのかな、

と思った。

 

 

 

「」

 

 

 

「生きるために死ぬのかな」

 

 

 

 

『なんの話?』

 

 

 

 

「誰かが生きるために、誰かが死んで、

自分が生きるために、私は死ぬんだね」

 

 

 

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あの日、彼女は風になった。

 

 

 

 

 

 

人の数だけ人生がある。

 

そんな当たり前のことを再認識した夜。

 

 

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苦い思い出も悲しい思い出も、

いつの日か「今日のためにあった」と

笑える日が来たらいいな。

 

 

この世界で暮らす全ての人たちみんな、